出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 福建省 福州市 |
資料にある地域情報 | 福建省 福州 |
慰安所があった時期 | 1941年 |
記載内容 | 此の台湾師団は混成旅団として南寧に駐留当時から相当数の慰安所を抱えており、海南島に撤収後も、師団直属慰安所として援助していた。ところが今次作戦に参加して、相当期間、福州に駐留することになった。師団としては当然彼等も作戦が一段落したら追従して来るものと予想していたが、予想に反して1軒の慰安所も来なかった。-台湾師団は福州作戦が終わったら台湾に復員するであろうーと解釈して・・・師団の招聘を断ったのが真相であった。・・・参謀部は対住民事故のおこる事を懸念して1日も早く慰安所を作るべく兵站部に命令した。参謀部の命令を受けた兵站部は・・・市井の婦女子を集め慰安所を開こうとした。だが現地人とはいえ、酌婦又は慰安所として婦女子を集めることは仲々容易なことでなかった。・・・市内の有力者である「林光淑」を紹介した・・・ それから2,3ヶ月後、軍は福州から撤収することが決まった。其の撤収第一船団の中に変った人間を乗せた一隻の船があった。それは駐留中日本軍に協力した現地人で、例えば在留邦人の使用人や現地で採用した通訳、密偵、連絡員または慰安婦等種々雑多であった。其の中に・・・「林光淑」の姿があった。 |
証言者 | 鈴木卓四郎 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 憲兵下士官 |
著者、公文書発信者など | 鈴木卓四郎 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1974.5.20 |
発行所 | 新人物往来社 |
ページ | 50-56 |
出典備考 | 注:慰安所設置について証言は別の事件に変転するが、福州撤収の際に慰安婦がいたということは、師団参謀部の命令を受け、兵站部は慰安所を設置したものと思われる。 |
備考 |
福州は、厦門市の北東方向にある。テキサス大学図書館公開の中国地図・FU-CHOU(シリーズL500、1954~)に「福州」がある。地図の下端中央「2-8」にある。現在の地図で同所は「福州市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・FU-CHOUは次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-ng50-8.jpg |