出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 上海市 虹口区 |
資料にある地域情報 | 東宝興路160号(当時は183)の建物の向かい側 |
慰安所があった時期 | 1937年8月 |
記載内容 | その向かい側の西洋式の二階建ての建物も日本人Kが海軍慰安所の経営を始めたが、とりわけ「大一沙龍」という海軍専用の慰安所は規模が大きかった。もともと貸座敷であったが、上海事変が勃発するとそれまでの日本人経営者は姿を消し、代わって日本人のK夫婦が海軍から要請を受けて海軍専用慰安所にしたらしい。多い時には20名ほどの女性がいたという。大一沙龍で雑役の仕事をしていた中国人陸明昌さん(1913年生れ)は、当時のことをこのように話している。 「当初、大一沙龍は一般の居留民も出入りする妓院でした。酒も飲んだりダンスも楽しむこともできました。第二次上海事変を境に海軍専用の慰安所になりました。慰安婦たちは和服を着ていましたが、ほとんど日本の貧しい山村から連れてこられた女性たちでした。日本人だけではなく朝鮮人の慰安婦もいました」 |
証言者 | 陸明昌 |
証言者属性 | 1913年生まれ。大一沙龍で雑役の仕事で勤務 |
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資料タイトル | 上海の慰安所・現地調査報告 上海に慰安所の記憶と痕跡を訪ねて |
著者、公文書発信者など | 西野瑠美子 |
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出典備考 | 『季刊戦争責任研究』第27号、日本の戦争責任資料センター、2000春、8-9ページ |
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