出典種別 | その他 |
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現在の地域情報 | 上海市 浦東新区 |
資料にある地域情報 | 其昌桟大街(現・銭倉街)・銭倉街の慰安所 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 浦東には他にも銭倉街(当時の其昌桟大街)に慰安所跡が確認されている。この慰安所も日本人が経営する民間経営の慰安所だった。30人から40人の「慰安婦」がいたというから、規模としては小さくない。そのほとんどが中国人だったというが、日本人に容貌が似ている者には一連の番号がつけられた。「条件の劣る者」にも一連の番号をつけたというから、番号は「慰安婦」の人格排除、「慰安婦」の商品化と共に、「慰安婦」の品定めと「ランク」を意味していたと考えられる。将校は上ランクの「慰安婦」のところに行き宿泊もできたという。 |
証言者 | |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | 上海の慰安所・現地調査報告 上海に慰安所の記憶と痕跡を訪ねて |
著者、公文書発信者など | 西野瑠美子 |
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出典備考 | 『季刊戦争責任研究』第27号、日本の戦争責任資料センター、2000春、10ページ |
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