記載内容 | 昭和12年11月、第二次上海事変で上海が陥落して間もない或る日、玉の井銘酒屋組合長国井茂宛に一通の電報が舞い込んだ。「キタル二〇ヒゴゼン一〇ジリクグンショウマデシュットウセラレタシ」・・・先に立ったのは参謀肩章を吊った金筋四本に星一つ、少佐である。・・・「・・・特に若い兵隊にとっては、性欲のハケ口をどうするかということが大きな問題です・・・そこで皆さんにお願いだが、軍の慰安のために接待婦を至急集めて戦地へ渡ってもらいたい。つまり軍に代わって慰安施設を開いてもらいたいということです。・・・まさか軍が女郎屋を経営する訳にはいかんのでね。はっはっは」・・・国井が陸軍省へ協力を申し入れると、50人の女をつれて行くようにと割り当てられた。・・・玉の井一部の高島順子という、国井も顔だけはよく知っている女が、戦地行きの条件をききに、組合事務所へ訪ねて来た。・・・順子が戦地行きを志願したという噂がひろまったせいか、続けざまに4人ほど希望者が現れた。・・・長崎丸は翌日の夕方、上海に着いた。埠頭にはたった今、輸送船から上陸したらしいカーキ色の群れがひしめいていた。53人の従軍慰安婦は三班に編成され、上海派遣軍司令部から差し廻された3台のトラックに分乗して、上海周辺地区の呉淞、南翔、南市へそれぞれ向かって、埠頭を出発した。高島順子たち玉の井組は南市だった。 |