出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖北省 武漢市 礄口区 |
資料にある地域情報 | 漢口の積慶里 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | そんな「興安丸」での船中生活だったが、長沖一によれば、この船には見慣れない異色の一団があったという。それは、慰安婦の集団であった。長沖は、その集団ことを後にこう記している。「それはとにかく、他に五百名の慰安婦の団体がいたことだ。松島の……楼といった旗標のもとに各グループごとに集まり、軍刀をさげた軍属の引率者が幾人か監督していた。そうした女性の中にはトイレへ行くのにも朋輩たちに両肩を抱いてもらわなくてはトイレにもゆけない骨と皮の女もいた」(『上方笑芸見聞録』長沖一、九芸出版) 「松島」というと大阪の遊廓である。・・・この慰安婦たちは、船の行き先からして漢口の慰安所に入ったと思われる。・・・昭和13年11月、漢口中心部にほど近い積慶里という場所に、慰安所が開設される見込みとなった。先に紹介した松島遊廓の杉本義太郎が慰安婦を連れて初めて漢口に入ったのは、11月17日である。・・・漢口に到着した慰安婦たちは、必要書類を持ってまず兵站慰安係に出頭しなければならない。そこで、戸籍謄本、誓約書、親の承諾書、警察の許可書などを提出し、登録を行う。さらに、所定の身分調査用紙を書いて提出した。こうした作業の後に、慰安婦として働く許可を受けることができる。 |
証言者 | 早坂隆 |
証言者属性 | 早坂隆は戦後生まれ |
部隊名 | |
資料タイトル | 戦時演芸慰問団「わらわし隊」の記録-芸人たちが見た日中戦争 |
著者、公文書発信者など | 早坂隆 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2008.7.10 |
発行所 | 中央公論新社 |
ページ | 269-275 |
出典備考 | 『上方笑芸見聞録』(長沖一、九芸出版)からの引用 |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・漢口(シリーズL500、1954~)に「漢口」がある。地図の左側中央「3-8」にある。現在の地図で同所は「武漢市礄口区」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・漢口は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh50-5.jpg |