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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報湖北省 武漢市 礄口区
資料にある地域情報湖北省 漢口 中山路南 積慶里 
慰安所があった時期1942年秋
記載内容漢口の中山路を南へ行くと軍の赤線地帯があって、日夜将兵が蠢いていた。軍ではここだけが桃源郷とされていたが、大きな塀で囲まれた中に密集した家屋が並んでいるのである。中国では何軒かの集まりを里と呼ぶのであろうが、積慶里といわれ兵隊達はこの地区をセッケリーと称していた。私は原隊復帰後、応城の検診業務の参考にと、師団軍医部の紹介状持参でこの赤線地帯の軍管理事務所へ出かけた。事務所は中山路に面した里の出入口を入ると直ぐ右側にあったが、二階が検診及び治療室になっており、軍兵站より軍医が派遣されていた。私は軍医と出かけたが、この区域内の各家の看板には「長崎〇〇」「福岡〇〇楼」「岡山〇〇」などと大書した慰安所が30数軒あった。東京、名古屋というような東日本地区の名称がなかった点からみて、これら慰安所の進出は関西、特に九州勢が早かったのであろう。この地帯の利用時間は、兵は午後6時まで、下士官は6時から8時まで、将校は8時以降と定められていた。
証言者今西義則
証言者属性日本軍兵士
部隊名
資料タイトル軍医の手記
著者、公文書発信者など今西義則
公文書宛先
発行日1973.9.10
発行所私家版(尼崎市)
ページ35
出典備考
備考 積慶里/テキサス大学図書館公開の中国地図・漢口(シリーズL500、1954~)に「漢口」がある。地図の左側中央「3-8」にある。現在の地図で同所は「武漢市礄口区」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・漢口は次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh50-5.jpg
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