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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報湖北省 武漢市 礄口区
資料にある地域情報湖北省 積慶里・六合里
慰安所があった時期1939年
記載内容漢口に慰安所が設置されたのは。恐らく漢口が占領され、治安が回復した14年の、2,3月頃ではなかったかと記憶している。漢口の慰安所、つまり漢口の街のほぼ中央に位置する処、ここを積慶里ということについては、前の性と兵隊に詳しく書いておいたが、今回は、この積慶里や、六合里で、お国の兵隊さんのためにと、一身を犠牲にして働いていた慰安婦のことについて、少し突っ込んで書いてみることにする。・・・このことについて私は、11軍の後方担任である、M参謀と親しく話合う機会を得たのだ。・・・慰安所設置、慰安婦集めは、前に述べたように、陸軍が、短期決戦から、長期持久戦に切り替えたことを意味するもので、ここに、重要なポイントがあったと考えられる。そして、内地において、慰安婦の大量動員かけられ、それは、昭和13年早春から、5,6月にかけて、中支那だけでも、3000人余りの慰安婦が導入されたと言うんです。私達は、この11軍兵站後方担任M参謀のことを慰安参謀と称していたが、昭和13年10月23日、武漢三鎮が陥落する頃は、軍の後方、つまり占領地には、数千人の慰安婦が集められていたということである。一方これだけの慰安婦を、日本内地から動員することは、不可能であったらしい。・・・そこで理想的な慰安婦を募集することについて、朝鮮女性へと軍首脳部の眼が向けられたのだが中支全域に長期戦を続行するための兵力は、少なくとも、5,60万の兵力を必要としたから、その兵力に対して、3~4万人の慰安婦を必要とした訳だ。
証言者吉川聡
証言者属性日本軍兵士
部隊名
資料タイトル野戦の思い出
著者、公文書発信者など吉川聡
公文書宛先
発行日1983.5.27
発行所私家版(静岡県長泉町)
ページ109-114
出典備考
備考 テキサス大学図書館公開の中国地図・漢口(シリーズL500、1954~)に「漢口」がある。地図の左側中央「3-8」にある。現在の地図で同所は「武漢市礄口区」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・漢口は次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh50-5.jpg
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