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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報湖北省 武漢市
資料にある地域情報漢口
慰安所があった時期1943年3月
記載内容慰安婦が漢口へ到着すると、楼主とともに必要書類をもって兵站慰安係へ出頭する。・・・30余年をすぎた今でも、思い出される顔があり、それにまつわる出来事もある。・・・
小花 ・・・花乃屋という朝鮮人の妓楼で、小花という妓が急性腹膜炎で重態になり、もう食べるものものどを通らないという。私は酒保から取り寄せてあったみかんの缶詰を二つ楼主に持たせてやった。・・・朋輩に汁だけスプーンですくってもらい、うれしそうに啜っていたという。しかし間もなくそれも出来なくなり、「みかん食べる?」ときかれても、「あとで……」というばかりで、最後はずいぶん苦しんで息を引きとったということだった。この妓の通夜の晩、花乃屋では10時から臨時休業にして、東本願寺のお坊さんの読経があるという・・・そばのコップに鳳仙花の赤い花があげてあった。・・・
珠美 ・・・大邱生まれの三成楼の妓が、揚子江へ飛びこんで自殺するという事件があった。・・・朋輩の話では、結核にでもかかったのか、だんだん痩せ細り、勤めがつらいと苦にしていたともいうし、なじみの兵隊がほかの妓とあそんだとかで、・・・棄てられたのではないかと思い悩んでいたとも言われた。
証言者山田清吉
証言者属性日本軍兵士・慰安係長
部隊名漢口第51兵站警備隊
資料タイトル武漢兵站
著者、公文書発信者など山田清吉
公文書宛先
発行日1978.12.25
発行所図書出版社
ページ86-109
出典備考注:著者紹介に「昭和16年召集小笠原父島要塞歩兵隊から漢口第51兵站警備隊に転属、のち武漢兵站副官、元陸軍大尉」と、また60pに「昭和18年3月28日、私が漢口兵站司令部に着任したとき、慰安係長は西口義雄少尉という温厚な人柄のまだ年若い青年将校がつとめていた」とある。漢口で慰安所をや料亭を担当したのは1943年3月以降のようだ。
備考 著者紹介に「昭和16年召集小笠原父島要塞歩兵隊から漢口第51兵站警備隊に転属、のち武漢兵站副官、元陸軍大尉」とある。
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