証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報湖北省 武漢市 武昌区
資料にある地域情報武昌
慰安所があった時期1939年秋
記載内容北部中国から中部中国戦線を転々と動かされた野北医師の部隊は、昭和14年秋、やっと武昌へ駐屯することになったが、この時やはり部隊長の命令で風紀維持のため、現地女性を集め、部隊専用の慰安所を開くことになったというのである。内地人はもちろん、朝鮮人慰安婦も手に入らなかったからだという。昭和14年というと、中国戦線を軍は拡大につぐ拡大で手をひろげ、後方からの“補給”が追いつかなかったからだろう。それでここでも札ビラと銃剣をちらつかせ、漢口北部の農村地帯から70人ほどの中国人女性を連れて来た。・・・しかし、慰安婦であるからには、そちらの方も検査する必要がある。大工出身の兵隊に木造の婦人科用検診台をつくらせ、一人一人をみたが、後になって、「半数は落第でした。性病患者、外皮病の患者が半数でした。生理の時清潔に処理せず、バフン紙やボロ切れでぬぐうだけなので、病気になるのだなあ。それに慰安婦から落とされようと、わざと汚くしていたのもいたように思えました」ということだ。ともかくそうして35人ていどの慰安婦を集め、慰安所を開いたという。
証言者野北九州男
証言者属性日本軍兵士・軍医
部隊名独立山砲第3連隊第1大隊付軍医
資料タイトル従軍慰安婦〈続編〉
著者、公文書発信者など千田夏光
公文書宛先
発行日1978.9.30
発行所三一書房
ページ53-54
出典備考
備考 テキサス大学図書館公開の中国地図・漢口(シリーズL500、1954~)に「武昌」がある。地図の左側中央「4-8」にある。現在の地図で同所は「武漢市武昌区」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・漢口は次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh50-5.jpg
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