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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報湖北省 武漢市 江夏区 油防陳
資料にある地域情報油防嶺(武漢近く)
慰安所があった時期1939年1月
記載内容【7日 晴天】降霜が激しい。午前10時から、我らの第6師団に対し感状が授与されるとのことであり、中隊全員集合し、好士中隊長よりこれの写しの朗読が行われる。・・・終わってから、注意として、気候激変に対する健康のことと、花柳病予防の件が強調された。ピー(慰安婦)が来ることは我には無縁だ。我の信念は今も何ら動かず。慰めとなるものは遠慮なく行け、我は阻止せず。我はただ無関心のみ。汁粉屋も開店されている。ピー屋に行って女を買うか、ゼンザイを飲むか、俺どんは甘党、ゼンザイに走ろう。不潔な支那婦人に何としてこの清浄無垢なわが肌が許されてなるものか。・・・
【23日】・・・今日は、ピー屋の出張をみ、好色家連中満悦か。・・・
【6日】武昌見物のかたがた、荒木谷沢両病院に後送のうわさのある戦友を尋ねようと、丘まで登るとちょうどトラックの便があり乗せてもらう。・・・その道の自称通人たる戦友らに案内されて、ピー屋を冷やかしがてらぶらぶら歩いてみるが彼らを求めたいなどの心持はちっとも沸かない。
証言者浜崎富蔵
証言者属性日本軍兵士
部隊名第6師団歩兵第45連隊
資料タイトルどろんこの兵
著者、公文書発信者など浜崎富蔵
公文書宛先
発行日1970.5.1
発行所私家版(鹿児島市)
ページ305、314、331
出典備考
備考 武昌50万分の1の地図に、武昌南東に「油坊嶺」がある。現地図で検索すると江夏区には、油坊、油坊湾、油坊陳が存在する。旧地図の油坊嶺の場所で確認すると、「油坊陳」がかつての油坊嶺と思われる。テキサス大学図書館公開の中国地図・漢口(シリーズL500、1954~)の武昌の南に「油坊嶺」がある。地図の「5-7」にある。現在の地図で同所は「武漢市江夏区油防陳」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・漢口は次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh50-5.jpg
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