出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖北省 武漢市 江夏区 紙坊 |
資料にある地域情報 | 紙坊の南東 |
慰安所があった時期 | 1944年春頃 |
記載内容 | 聯隊では聯隊長の馬扱兵、天竜三郎上等兵が浪曲師で活躍し、その他各隊で演芸会が行われた。しかし何と言っても手っとり早いのは、飲食店と慰安所であった。各駐屯地ともそれぞれ開店しているようであったが、部隊の規模に相当する飲食店はなく、折からツテを求めて前駐屯地、安徽省の揚子江岸、池州の『わかくさ』のおかみが、部隊の縮少により商売が細ったので、当地で商売をしたいと言うので、聯隊でも大いに喜び、紙坊の東南、第4野戦病院付近に開店させた。店は主としておかみの義妹のナッチャンという美人が、中国のクーニャンを使って飲酒、食事を商い、繁盛した。しかし慰安所は各所とも土煉瓦造りの汚い家屋に、アンペラかムシロを戸口としたもので、女性は中国人であった。こんな汚い所でよくもと思ったが、「共同便所へ行って来る」などと自潮しながらも多勢通っていた。営内から日の丸分哨を経て行く道には、鉄条網が張ってあったが不完全で、休日巡察をしていると、何人かが外出の服装で此所を通過して、駅の手前にある慰安所へ行こうとした。 |
証言者 | 星野博 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 嵐兵団歩兵第120連隊 |
資料タイトル | 衡陽最前線 |
著者、公文書発信者など | 星野博 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1986.6.30 |
発行所 | 叢文社 |
ページ | 32-33 |
出典備考 | |
備考 |
武昌中心部の南、金口の東方に、「紙坊」がある。テキサス大学図書館公開の中国地図・漢口(シリーズL500、1954~)の武昌の南東に「紙坊」がある。地図の「4-6」にある。現在の地図で同所は「武漢市江夏区紙坊」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・漢口は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh50-5.jpg |