出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖北省 黄岡市 浠水県 巴河鎮 |
資料にある地域情報 | 下巴河鎮(漢口揚子江下流) |
慰安所があった時期 | 1939年2月 |
記載内容 | 彼女等は当時同胞であった朝鮮婦人で健康である。軍医の検診に落伍者が出ない。・・・軍も慰安隊と呼称して待遇したのである。後日1年後、武漢攻略戦が終り、漢口の揚子江下流の巴河鎮でこの慰安隊と再会した。彼女等は当時6師団に配属されており、我等と警備交代する時「何んだか見かけた慰安隊だね」と、すれちがいに語り合った戦友達の一人が「あれは洋店へ来たピーだよ」と手を挙げ会釈した事があった。彼女等も覚えている者もあって懐かしい目と目を合わせたのであった。 2月10日 雨・・・揚子江を下航し2時間後北岸の下巴河鎮に到着。人馬、荷物の陸揚げ完了。夕刻となり宿舎に入るのに容易ならず争い起る。内山君と同寝する。船中にて時黄家当時の桃子に逢う。・・・ 2月11日 晴・・・市街を散歩する、団子の砂糖揚げ、天ぷら揚げを食す。慰安所を素見す。 2月13日 晴・・・時黄家当時のピー及び支那ピー、人民自衛軍松崎部隊に同伴して下巴河鎮を去る。 |
証言者 | 吉田庚 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 歩兵第58連隊第1大隊 |
資料タイトル | 軍馬の想い出 一輜重兵の手記 |
著者、公文書発信者など | 吉田庚 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1979.10.10 |
発行所 | 新人物往来社 |
ページ | 117,187-188 |
出典備考 | |
備考 |
注:下巴河鎮は位置不明。巴河鎮なら武漢市東方方向、黄岡市近くにある。グーグルマップには、この巴河鎮の直ぐ近くに「下巴河鎮馬頭」と運輸サービル?を表示している。巴河鎮と下巴河鎮は近接していたと推測される。ここでは下巴河鎮不明に付き、巴河鎮の位置をとった。/テキサス大学図書館公開の中国地図・漢口(シリーズL500、1954~)に「巴河街」がある。地図の中央付近「0-6」にある。現在の地図で同所は「巴河鎮」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・漢口は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh50-5.jpg |