出典種別 | 兵士の回想録等
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現在の地域情報 | 湖北省 咸寧市 通山県 |
資料にある地域情報 | 湖北省 通山 |
慰安所があった時期 | 1939年 |
記載内容 | 私達通山の町では茶を飲む店もないのである。・・・それでもずっとおそくではあったが、そば屋が開店して繁盛しておった。・・・古兵達は中国人もしくは朝鮮人の慰安婦を相手に荒廃の一刻を慰めておったように、私達も歌のメロデーにすさみ切った気持ちを癒すのに足りたいものである。・・・焼け板を並べアンペラを敷いた、その上に毛布をひろげたそれは殺風景極まる粗末な慰安所だったが、兵隊が一番早く、下士官は8時まで、将校はそれより翌朝まで、と云った定りがあったとも聞き、将校には将校専門の慰安婦だとも噂も飛んでいおった。・・・私達も通山に於て来る日、来る日も作戦と討伐に明け暮れて、一回通りの四季の巡りを見ると野戦であると云う緊張もほぐれ、気分的にも余裕と云うか一つの馴れが生じた頃に、慰安所だと云う噂が出始め、最初は何のことだろうかと判然とせなかったが、急速に実現化したのである。 |
証言者 | 黒田春夫 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 慟哭 補遺 |
著者、公文書発信者など | 黒田春夫 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1989.5.28 |
発行所 | 私家版(今治市) |
ページ | 115-117 |
出典備考 | 注:著者略歴に「1939年第40師団歩兵第234連隊編成第3中隊編入出征 中華民国湖北省武昌に上陸通山県通山に於て第一線警備につく」とある。 |
備考 |
著者略歴に「1939年第40師団歩兵第234連隊編成第3中隊編入出征 中華民国湖北省武昌に上陸通山県通山に於て第一線警備につく」とある。
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