出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖北省 咸寧市 通山県 南林橋鎮 |
資料にある地域情報 | 楠林橋 |
慰安所があった時期 | 1945年春 |
記載内容 | この日も、この湖北省カン寧県楠林橋は暑かった。カンの字を忘れてしまった。・・・部隊の中に設営されていた慰安所に、4、5名の朝鮮ピイがいたんだけど、これが敗戦の翌日に姿を消してしまった。それは煙の如くにふわあっと消えてしまった。その慰安所の経営者というか責任者というか、人相風体かんばしからぬ、日本人の中年の夫婦者がいたんだけど、この巡査上がりみたいな夫婦も、ピイと共に見えなくなってしまった。みんな銃殺されたという噂が飛んだ。「そういえば銃声を聞いたぜ」なんて言う兵隊もいた。朝鮮ピイたちは将校専用といってもいいくらいで、われわれ兵隊は時どき遠くからチラチラと、そのナマメカシイ姿を見かけるだけだった。何が慰安所だい、ふざけやがって。それにしても、何も銃殺することはねえと思うんだけどな。 |
証言者 | 殿山泰司 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 三文役者 あなあきい伝 |
著者、公文書発信者など | 殿山泰司 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1974.2.8 |
発行所 | 講談社 |
ページ | 226 |
出典備考 | |
備考 |
通山県10万分の1の地図に通山県の西方に南林橋市がある。ここは咸寧市の範囲に含まれる。グーグルマップで検索すると、「楠林橋派出所」の直ぐ西に「楠林橋鎮」がある。楠林橋と南林橋は同一地名と思われる。ちなみにアジア歴史資料センターで南林橋(または南淋橋)と楠林橋で検索すると、ヒット数は圧倒的に後者が多い。当時日本軍は一般には楠林橋を呼称していたようだ。/テキサス大学図書館公開の中国地図・修水(シリーズL500、1954~)の通山の西方に「楠林橋」がある。地図の「4-7」にある。現在の地図で同所は「咸寧市通山県南林橋鎮」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・修水は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh50-9.jpg |