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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報湖北省 随州市 広水市
資料にある地域情報応山
慰安所があった時期1939年7月頃
記載内容私は何気なく、応山の警備隊長を訪ねたところ、思いがけなくも若林少佐にめぐり会えたのだった。隊長室へ入って行くと、彼は「おーッ」と奇妙な声を出し、「よく来たなァー」といって喜んでくれた。八字髭を生やし、ここでは堂々たる隊長振りをみせてていた。日が暮れると若林は、「おい、飲みに行こう」といって「とい街」に出かけた。「とい」とは何のことだかわからなかったが、「特殊慰安所」の「特慰」を、平がなで略して「とい」と呼んでいた。武漢作戦終了後、第3師団が応山に駐屯していたため、「特殊慰安所」がつくられた。家は十数軒、ここには珍しく日本の若い女がたくさんいた。昼間は兵隊のために客をとる。夜は将校のために酒の相手をする。夜更けると将校といっしょに寝る。それが特殊慰安婦だった。若林隊長はそのうちの顔なじみらしい1軒に入って行った。いつもは賑わう「とい街」だというが、作戦中で兵隊が前線へ出てしまったので、ひっそりしていた。若林と私が入って行くと、3,4人女が出てきた。・・・そのうちの1人、丸顔の可愛い娘にきいてみると、「私は何も知らなかったのね。新宿の喫茶店にいたのだけれど、皇軍慰問に行かないかってすすめられたのよ。皇軍慰問ということがどういうものかも知らなかったし、話にきいた上海へ行けるというので誘いに乗っちゃったの。仕度金も貰ったし、上海までは大はしゃぎでやってきたら、前線行きだという。・・・きてみたら「とい街」だったじゃないの。いまさら逃げて帰るわけにも行かないし、あきらめちゃったわー」
証言者小俣行男
証言者属性日本軍兵士
部隊名第3師団
資料タイトル戦場と記者
著者、公文書発信者など小俣行男
公文書宛先
発行日1967.3.30
発行所冬樹社
ページ172-173
出典備考注:著者略歴に「昭和11年3月読売新聞社に入社 同13年1月従軍記者として中支戦線に特派され中支、南支、仏印等の各戦線に参加」とある。
備考 著者略歴に「昭和11年3月読売新聞社に入社 同13年1月従軍記者として中支戦線に特派され中支、南支、仏印等の各戦線に参加」とある。
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