出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖北省 随州市 曽都区 淅河鎮 |
資料にある地域情報 | 湖北省 浙河 |
慰安所があった時期 | 1939年3月6日 |
記載内容 | 昭和14年3月急遽、浙河にも慰安所が設置されることになったが、聯隊主力は付近の掃蕩に明け暮れ不在勝ち、そこで留守役の第1大隊長に、その設置命令が下った。命令の要旨次のようであった。「第1大隊長は残留部隊の兵力を区署して、聯隊主力が帰る本月5日頃迄に、慰安所5,6軒(約30人分)を設営すべし」。・・・ 3月6日夕刻、慰安隊の一行は諸道具と一緒に浙河に到着、皆嬉しそうに迎えた。やゝ遅れて、聯隊主力も帰って来たので、早速その足で、川並聯隊長の巡視を受けて、見事に完成していることを褒められたが、各部隊の付けた屋号が、どんなだったか覚えていないが、お気に召さず、強制的ではないが「千紫楼」「萬紅楼」等にしたらとの意図だったが、「千紫」は「戦死」に通じ「萬紅」は「まんこ」に通ずるので、私は適当でないと思ったから、ついに握り潰してしまった、その後間もなく、聯隊長は少将に昇進、陸軍通信学校長に栄転された。第1大隊は慰安所の開店を前にして応山へ移動する事になったが、応山では浙河の慰安所が一夜にして完成したと、当時評判だったことが、せめてもの慰みであった。 |
証言者 | 塚本彦一 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 第1大隊本部 |
資料タイトル | 歩兵第六連隊歴史 追録第二部 |
著者、公文書発信者など | 名古屋第六会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1971 |
発行所 | 名古屋第六会 |
ページ | 134-135 |
出典備考 | 塚本彦一「第一大隊本部に残した思い出」 |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・安陸(シリーズL500、1954~)に「浙河」がある。地図の「3-0」にある。現在の地図で同所は「浙河鎮」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・安陸は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh49-4.jpg |