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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報湖北省 孝感市 応城市
資料にある地域情報応城(武漢近く)
慰安所があった時期
記載内容何よりも、師団長のお膝もとで、給与がよかった。土曜日の午後と日曜日には、交代で城内に外出を許された。城内の軍隊区には、軍酒保、軍人会館、食堂、喫茶店、慰安所などの施設があり、大勢のいきのいい姑娘(クーニャン)がいて、兵たちのオアシスであった。・・・
応城には約4カ月いた関係から、軍人会館や慰安所などに、2,3のなじみの姑娘ができた。王秀珍はそのなかの1人というよりも、中国の戦場にいること5年のあいだに知りあった3人の中国女性のなかで、ただ一人の生娘であり、1年あまりも身体の関係のない交際をつづけた思い出ふかい姑娘である。秀珍は軍人会館のウェートレスだった。・・・
応城には、軍酒保、喫茶店、食堂など10軒ほどの日本兵相手の施設があり、軍直営の酒保をのぞくと、どの店にも姑娘のウェートレスやホステスがいて、兵隊たちにはそれなりのサービスをしていたが、もちろん、彼女たちは娼婦ではなく、身体を売るというようなことはなかった。
証言者森金千秋
証言者属性日本軍兵士
部隊名支那派遣軍・呂集団
資料タイトル華中戦記 泥沼の大陸最前線
著者、公文書発信者など森金千秋
公文書宛先
発行日1976.4.25
発行所図書出版社
ページ131177
出典備考
備考 テキサス大学図書館公開の中国地図・孝感(シリーズL500、1954~)に「応城」がある。地図の右上付近「4-2」にある。現在の地図で同所は「応城市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・孝感は次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh49-8.jpg
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