証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報湖北省 襄陽市 南漳県 団山寺
資料にある地域情報トカシ 団山寺の近く
慰安所があった時期1940年
記載内容わたしが中国大陸に渡り、最初に参加したのは、昭和14年の12月から中国軍が漢口奪還の冬期攻勢に対する反撃作戦を行ってからだが、そのとき野砲兵のトラックに女性がいるのを目にした。・・・翌年の4月から宜昌攻略作戦が行われた。・・・ところがその夜、部落のすぐ裏の山で、わたしが寝ずの番の歩哨に立っている時、かくれていた小女を見つけた非番の兵隊が、「こもうて入りゃぁせん」と言うているのが聞こえた。何人かで、小女を輪姦していたに違いない。その部落周辺に2千人近い兵隊が分散していたはずだから、どこでどんなことが行われていたか、今にして思いあたる。
ー宜昌を占領した後、各部隊は命令のままに分散して駐留する。わたしの所属する中隊は、トカシという名の住居のない山の中で、大隊本部がある団山寺という部落まで8キロメートルばかり離れた所だった。大隊長の計らいか、あるいは中隊長の要請か知らぬが、わたし達の中隊に3名の慰安婦がやってきた。早速、被服庫を片づけ、2畳ぐらいの部屋を三つつくった。間仕切りは毛布1枚。その入口に兵隊が並んだ。・・・と、ある日曜日の夜ー同僚に抱きかかえられるようにして慰安所へ連れこまれた。
証言者江先光
証言者属性日本軍兵士
部隊名39師団233連隊
資料タイトル戦鬼
著者、公文書発信者など江先光
公文書宛先
発行日1995.7.20
発行所叢文社
ページ343-346
出典備考
備考 団山寺は各地にある。アジア歴史資料センター:C12122427800の0164-0165の「歩兵第233連隊略歴」には、「昭和15.6.8 湖北省当陽付近戦闘および宜昌に向かう追撃戦並に東方機動による八角庙付近の警備」同年「7.10 湖北省当陽および荊門県掇刀石に移駐、同日より同地付近の警備」とある。この「八角庙」「掇刀石」に近い位置の団山寺を検索すると、「襄陽市 南漳県」の「団山寺」がヒットした。ここと推測した。なお、トカシは「登家嘴」であろうか。別資料『華中戦記』(森金千秋著)の183pに「私は昭和16年夏、荊北の登家嘴(トカシ)でこじらせた大腸炎に」とあり、本証言の場所も荊門の北である。しかし、旧地図にも現地図に見えず。
テキストのコピーはできません。