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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報湖北省 荊門市
資料にある地域情報湖北省 荊門
慰安所があった時期1940年
記載内容昭和15年5月1日、宜昌作戦に参加致し、宜昌入城は13師団にゆずり、反転を準備中「作戦部の命令として」軍(第11軍阿南惟幾中将)より電報あり第39師団は荊門地区第一線の整備に位置すべし、「蒙泉・龍泉」名づくる二つの泉あるそばの、文明楼を師団司令部に使用されたのは6月中旬と思う。まず地区内の警備と宣撫に力がそそがれ、軍に慰安婦の派遣方の手配の依頼の電報を発信した記憶がある、慰安所は大隊本部所在までか?兵、下士、将校と外出時間も規定ありて、のべつまくなしに行われていない。荊門には部隊本部が多くあり、慰安婦の人員も多くて半島、支那、内地出身などで、軍より一部の援助はあったが内地人で経営されていた。慰安所が敵の銃火に攻撃された報告は一度も通電された記憶はない。
証言者今津善一
証言者属性日本軍兵士
部隊名39師団
資料タイトル朝風=われら戦争を忘れまい
著者、公文書発信者など朝風の会
公文書宛先
発行日1988.2.10
発行所私家版(沼津市)
ページ9-10
出典備考今津善一「『慰安婦派遣方』の電報を打った」
備考 荊門と荊州は別の地名である。荊門は、荊州市の北、宜昌市の北東にある。テキサス大学図書館公開の中国地図・自忠(シリーズL500、1954~)に「荊門」がある。地図の下端中央右寄りにある。現在の地図で同所は「荊門市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・自忠は次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh49-3.jpg
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