出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖北省 荊門市 |
資料にある地域情報 | 湖北省 荊門市 |
慰安所があった時期 | 1943年後半 |
記載内容 | 18年(1943年)の後半、中国の派遣部隊も異動が激しくなり、私の中隊は湖北省荊門に駐屯した。前の部隊が遺した慰安所には、朝鮮婦人が大半で30人くらいいたと思う。彼女らはアンペラ1枚でしきったおそまつな部屋で、かたことの日本語で、歯をくいしばって生きているような感じだった。終戦当時は大変だった。ある時、慰安婦団体が、現地民に襲われて救援に行った。略奪され、下着まで取られた女性もいた。若い女性は数人つれて行かれた様子だった。私たちは下着ヲぬいで与え、つれて帰ったことがあった。慰安婦は人間であり、立派な女性であった。その後あの娘たちはどうなったか。日本政府は従軍慰安婦をどう処置したのか、一切聞いたことがない。 |
証言者 | 藤井忠 |
証言者属性 | 日本軍兵士・下士官 |
部隊名 | 中国派遣部隊 |
資料タイトル | 女たちの太平洋戦争‹2›敵は日本人だった |
著者、公文書発信者など | 朝日新聞社 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1991.11.25 |
発行所 | 朝日新聞社 |
ページ | 145 |
出典備考 | 藤井忠「中国で会った慰安婦―金に縛られ心身ボロボロに」/本資料は単行本。朝日文庫版『女たちの太平洋戦争』1996.9.1では、177-179ページ |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・自忠(シリーズL500、1954~)に「荊門」がある。地図の下端中央右寄りにある。現在の地図で同所は「荊門市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・自忠は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh49-3.jpg |