出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖北省 荊門市 |
資料にある地域情報 | 荊門 襄西地区 |
慰安所があった時期 | 1941年 |
記載内容 | 16年10月わが中隊は師団護衛中隊として荊門で勤務した。当時荊門は平和で軍人ホーム2ヵ所、慰安所3ヵ所、慰安婦も多数いたが、みな民間人経営で兵隊は金を払って遊ぶ。軍には何ら関係ない。慰安婦は日本人、朝鮮人、中国人がいた。朝鮮人はモンペをはいていた。行軍というが移動はトラックで、道路の悪い所だけ下車して歩く。これは行軍とはいわない。慰安所はみな中国人の家屋を改修する。最初は兵隊が設備するが、アンペラ囲いはない。私の記憶する襄西地区の慰安所は7ヵ所で、警備地の位置からいって射程千5百メートルの迫撃砲弾が飛んでくるような所ではない。また敵はしばしば夜襲してきたが、迫撃攻撃を受けたことはない。 |
証言者 | 西山敏夫 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 戦争―血と涙で綴った証言―(上巻) |
著者、公文書発信者など | 朝日新聞テーマ談話室 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1987.7.31 |
発行所 | 朝日ソノラマ |
ページ | 457 |
出典備考 | 西山敏夫「慰安婦の記事に疑問」 |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・自忠(シリーズL500、1954~)に「荊門」がある。地図の下端中央右寄りにある。現在の地図で同所は「荊門市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・自忠は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh49-3.jpg |