出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖北省 荊門市 東宝区 黄家集 |
資料にある地域情報 | 黄家集 |
慰安所があった時期 | 1940年 |
記載内容 | 黄家集は師団の西第一線で、第231連隊の第3大隊本部があった。ここに療養所が置かれてあるのは、大隊本部の医務室(入室)では治療できないが、さりとて野戦病院に送る程の重症でない患者とか、前線で負傷した兵の応急手当の必要な患者の療養施設で、所長の村上軍医少尉は外科医であった。・・・村上軍医少尉は毎日昼から酒を飲む不謹慎な男で、その上毎夜のように慰安所に通い、朝帰りをする女ぐせの悪いところから、療養所の衛生兵、入室患者から批判の的になっていた。・・・何時攻撃して来るか分らない敵を前にして、部下兵を差しおいて自分だけ慰安所に外泊する余暇は無かったし、隊長、指揮官という重責を思うなら良心のある将校には赦されないことであった。・・・兵の愉しみと云えば休日に大隊本部の酒保に行くか、慰安所に行くことぐらいであったが、たまに山へ雉を射ちに行くこともあった。・・・ 昭和15年も暮れの12月の朝。衛生兵、患者に怒鳴り散らしている、村上軍医の荒々しい声が聞こえて来た。・・・村上軍医がビンタを張ったのだろう、衛生兵の顔々が紅くなっている。・・・三村衛生兵は馬鹿々々しくなり腹が立った。さては昨夜つぼみ(源氏名、朝鮮女性で村上軍医の彼女)のサービスでも悪かったに違いない。 |
証言者 | 森金千秋 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 悪兵 |
著者、公文書発信者など | 森金千秋 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1978.5.10 |
発行所 | 叢文社 |
ページ | 31-34 |
出典備考 | |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・自忠(シリーズL500、1954~)に「黄家集」がある。地図の下端中央右寄り「0-3」にある。現在の地図で同所は「黄家集」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・自忠は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh49-3.jpg |