証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報湖北省 宜昌市 夷陵区 鴉鵲嶺鎮
資料にある地域情報鴉鵠嶺 当陽の近くか
慰安所があった時期1940年12月
記載内容かくして、宜昌占領の昭和15年も、あますところ旬日で暮れんとしている慌ただしい時、突如師団命令によって我が部隊は宜昌に多数の思い出を残して、ここを下る約20里の後方、当陽ー鴉鵠嶺という、山間部落に警備移動することとなった。まず新駐屯地を警備することになると、兵隊たちの兵舎として支那民家の内部改造が急がれ、つづいて、慰安娯楽設備の食堂、慰安所の設営が部隊会報(通達)によって急がれる。中でも、戦場慰安婦たちの赤線区域の“城”は、部隊長官舎とともに、兵隊宿舎よりも早く出来あがる。
証言者宮崎清隆
証言者属性日本軍兵士
部隊名
資料タイトル鎖と女と兵-初年兵時代-
著者、公文書発信者など宮崎清隆
公文書宛先
発行日1967.7.1
発行所宮川書房
ページ204
出典備考注:この証言では「鴉鵠嶺」としているが、他の資料、例えば「宜昌作戦経過概要図」(a-2523)には「鴉鵲嶺」とある。『栄光マラソン部隊』所収の森金千秋提供の地図にも同様のものがある。
備考 テキサス大学図書館公開の中国地図・宜昌(シリーズL500、1954~)の宜昌の東南に「鴉鵲嶺」がある。地図の左上「5-8」にある。宜昌50万分の1の地図や当陽10万分の1の地図でみると、当陽の南西方向にあり「鴉雀嶺場」となっている。現在の地図で同所は「鴉鵲嶺鎮」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・宜昌は次を参照のこと。
https://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh49-7.jpg
テキストのコピーはできません。