証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報湖北省 宜昌市 枝江市 黄龍寺村
資料にある地域情報黄龍寺の付近
慰安所があった時期1943年
記載内容「よし、女はこっちへ連れてこい。後の者は何もかも引っくりかえして兵器をさがせ」家の中は暗い。・・・隊長の前に引っ張り出された女の顔が、夕顔のようにあたりに光った。「ええ女ごじゃのう」・・・その夜張子良の襲撃もなく、朝早く黄龍寺に向けて帰途についた。「曹長殿、夕べ皇軍慰問がありました、へへ」和島が、そばへ寄ってきた。「馬鹿、ヘンなことをしたんじゃないだろうか」私は、あたりをはばかって小声で言った。「見ただけですよ」「隊長に知られたら大変だぞ」和島は口をおさえて、アババアをしながら。「女は、ええことしやがってこれですよ」と腹をかかえるまねをした。・・・私は、ここまで読んで皆の顔を見た。「私は、この女性が果たして張子良の夫人か、それとも全然別の農家の主婦だったかもしりません。あの時案内した楊はそれから姿を見せないし、誰も証明する者がいなかったからです。でもこの婦人が営倉に入れられてからも、はずかしめを受けられたと言うことは、この時の分哨長だった木下の坦白によって、私も初めて知ることが出来ました」・・・「こんな苦しみを受けながら、婦人はなお最後の勝利を信じられ、最愛の夫に、子供を渡すまで生きようとされたと思うのです。だが中隊が常徳作戦に出動した留守に、補充兵の教育と称して、刺殺されたのであります。聞くところによると、教官は助教と共に、みごもった子を見たると言うて、腹を切り裂いたのであります」
証言者江先光
証言者属性日本軍兵士
部隊名39師団233連隊
資料タイトル戦鬼
著者、公文書発信者など江先光
公文書宛先
発行日1995.7.20
発行所叢文社
ページ327-328
出典備考注:少しわかりにくいが、戦後捕虜となった戦犯管理所で罪を発表する「坦白」を行っていた時の回想である。証言者は張子良夫人と思われる女性の逮捕、暴行、殺害を「坦白」に選んだ。自身の責任が軽いからと。それが最初の女性連行の場面である。それを発表した後、皆(他の戦犯)の顔を見て語る場面が中ほどである。結局、証言者は他の兵士の「坦白」によって、この女性が営倉に入れられ性暴行を受け、最終的には殺害されたことを知るのである。この事案は正規の「慰安所」ではないが、女性を捕虜として捕え組織として性暴行を加えというもので、「慰安所」と同様であった。
備考 宜昌50万分の1の地図に、宜昌市の東南方向に「黄龍寺」がある。現在の地図で同所を探すと「黄龍寺村」がある。テキサス大学図書館公開の中国地図・宜昌(シリーズL500、1954~)の宜昌の南東に「黄龍寺」がある。地図の中央左寄り「4-8」にある。現在の地図で同所は「黄龍寺村」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・宜昌は次を参照のこと。
https://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh49-7.jpg
テキストのコピーはできません。