出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖北省 宜昌市 当陽市 |
資料にある地域情報 | 当陽 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 土曜日は半休で、日曜ごとに当陽の街まで外出がたのしめる特権もあった。当陽は第39師団司令部の所在地であり、各種部隊が常駐し、非戦闘員をふくめた兵員数も多く、また、前線各地区からの連絡の将兵、通過部隊もあって、日曜日の当陽は外出の兵隊であふれていた。軍酒保、会館、食堂、慰安所等の娯楽施設も完備して、多数の姑娘たちが兵隊にサービスしていた。姑娘たちの多くは、漢口からきている娘が多かったが、奥地のため、地元出身の娘もいて、やはり当陽独特の情緒があった。 |
証言者 | 森金千秋 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 支那派遣軍・呂集団 |
資料タイトル | 華中戦記 泥沼の大陸最前線 |
著者、公文書発信者など | 森金千秋 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1976.4.25 |
発行所 | 図書出版社 |
ページ | 197 |
出典備考 | 注:196pに「旅団司令部は当陽東4キロ、沮漳河(ソショウガ)畔にある古佛寺で、飛行場の端にある」とある。当陽5万分の1の地図にもこのとおりの位置に古佛寺はある。 |
備考 |
当陽は宜昌市の東方向にある。テキサス大学図書館公開の中国地図・宜昌(シリーズL500、1954~)に「当陽」がある。地図の上中央付近「7-1」にある。現在の地図で同所は「当陽市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・宜昌は次を参照のこと。 https://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh49-7.jpg |