証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報湖北省 宜昌市 当陽市
資料にある地域情報当陽
慰安所があった時期
記載内容「当陽に師団司令部のある第132師団通称号〔振起〕兵団へ即時赴任せよ」と云う。・・・明番〔栄〕の自動車聯隊が宜昌へ衛生材料を輸送するから、それに便乗してくれと 急に告げられる。・・・翌日当陽を通過したのは真夜中。降りたのは我々4人丈だった 何も見えぬ道端に下車されられる。・・・我々主計2人は司令部経理部勤務となり 井田君も司令部の参謀部だが 大沼君は通信隊へ配属となった。・・・石田主計は到着後1月ばかりして 河溶鎮の工兵隊へ転任になった。・・・石田君に限らず同期生や知友悪童も多く 二晩三晩と遊び続けたことも多い。夕食後の手持ち無沙汰となると 一人部屋の淋しさに いずれからともなく連絡しあっては出歩くこととなる。行く先は云わずも知れた「軍人クラブ」で体裁の佳い名だが 薄暗いランプの下に 日鮮支三国友好のサービス女性がとぐろを巻いている。・・・彼女達は酒肴の準備丈で一晩の金が貰え あとは ゆっくり一人寝られるとあって 故国の歌を歌っては矢鱈に一緒に飲み食いしている。何れにしても薄汚い奴等だ。共同便所とは巧い名を付けたものだ。経理学校の軍医の忠告が思い出される。
証言者吉田欣也
証言者属性日本軍兵士
部隊名
資料タイトル大厦顚倒(たいか てんたう)
著者、公文書発信者など吉田欣也
公文書宛先
発行日1993.12
発行所私家版
ページ23,26,35,36,41,42
出典備考
備考 テキサス大学図書館公開の中国地図・宜昌(シリーズL500、1954~)に「当陽」がある。地図の上中央付近「7-1」にある。現在の地図で同所は「当陽市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・宜昌は次を参照のこと。
https://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh49-7.jpg
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