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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報湖北省 宜昌市 当陽市
資料にある地域情報湖北省 乾渓場
慰安所があった時期
記載内容私が入った第1機関銃中隊のいたところは、「荊門県」の「雑樹店」というところでした。・・・作戦から帰った13年兵の古い兵隊は日本に帰ってしまって、14年兵以下は「乾渓場」の方へ移動しました。・・・私がはじめて慰安所に行ったのは乾渓場でした。・・・乾渓場の慰安所は、中国の民家を没収して中を改造したものでした。慰安婦たちの部屋は、3畳の板間に土間1畳があって、隣の部屋とのしきりはアンペラ(とうきび殻で編んだむしろ)1枚でしたね。それに新聞紙などを貼って隣が見えないようにしたんですが、話し声も接客の様子もすべて聞こえる状態でした。部屋の中には、彼女たちの持ち物はなくて、寝具だけがおいてありました。箪笥も鏡台も何もなかったですね。こういった部屋が5~6部屋あって、当時使用していたのは3部屋でした。ということは、3人の慰安婦がいたということです。1人は朝鮮人、あと2人が中国人。どのようにしてそこにいたかというと、これはもう監禁状態ですね。自分の思うところへ行けないわけです。親のところへも帰れない。・・・今も覚えております。私が通った女性は中国人で「輝世」といいました。日本名で呼んでいたんですね。・・・「張」が名字です。それから「輝」の下に「風」と書いてありました。これが本名です。
証言者藤原助男
証言者属性日本軍兵士
部隊名39師団浜田21連隊第1機関銃中隊
資料タイトル今はじめて語る私の罪行
著者、公文書発信者など藤原助男
公文書宛先
発行日
発行所
ページ
出典備考『季刊中帰連』第18号、2001.9.1、「中帰連」発行所、53ページ
備考 宜昌50万分の1の地図に、当陽の西方に「乾渓場」がある。アジア歴史資料センター:C11112190500の0597「的野部隊集結警備配備要図」に蛇行する河川の北岸に「乾渓場」が記されている。/テキサス大学図書館公開の中国地図・宜昌(シリーズL500、1954~)に「当陽」がある。地図の上中央付近「7-1」にあり、「乾渓場」見えず。当陽5万分の1の地図に当陽県城の西方に「乾渓場」がある。現在の地図と要図とを比較すると、河川の蛇行状態から、「乾渓場」の位置は特定できるが、現在の地図に「乾渓場」見えず。テキサス大学図書館公開の中国地図・宜昌は次を参照のこと。
https://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh49-7.jpg
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