出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖南省 岳陽市 |
資料にある地域情報 | 岳州 |
慰安所があった時期 | 1944年秋頃 |
記載内容 | 衡陽を苦戦の末やっと占領し、吾々も恩賜の煙草1本を押戴いて間もなく、「慰安所設営のため各分隊5名使役を出すよう」命令された。6分隊あるから合計30名、元料亭のような家を1週間で4・5帖程の部屋を5室、ドラム缶風呂の浴室を作れというものであった。アンペラで間仕切、板の床、私はドラム缶3ヶの浴室を作る担当をあてがわれた。・・・命令を受け丁度1週間で慰安所を完成、その場所からは洞庭湖が見渡せる。昼頃であった、完成した風呂場の窓から湖畔を眺めた時、こちらに向かってくる女連れの一団を見た。・・・女達は上履きのような運動靴で、恵美子、愛子など名前が書いてあった。「コンチニワ」とたどたどしい日本語、明らかに日本人ではない東洋系の女達、「鈴木大尉、知りませんか?」ときかれた。・・・翌日『暁部隊専用慰安所』と墨書の大看板が掲げられた。完成の翌週日曜の外出時、人事の准尉のいる建物で慰安券なる□切と爆弾と呼ぶ衛生サック、大中小、1号2号3号と呼ぶが、渡された。 |
証言者 | 児玉利彦 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 暁部隊 |
資料タイトル | 慰安所設営 |
著者、公文書発信者など | 児玉利彦 |
公文書宛先 | |
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出典備考 | 注:2010年11月5日、原稿用紙に書かれた表題の資料(3ページ)他を当館に持参された。 |
備考 | 2010年11月5日、原稿用紙に書かれた表題の資料(3ページ)他を当館に持参された。 |