証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報湖南省 岳陽市 臨湘市
資料にある地域情報湖北省 臨湘
慰安所があった時期1940年頃
記載内容第三の駐屯地思い出深き臨湘駅
このわびしい裏町は、私にとって生涯忘れることのできない所となる。ここが私には今事変の最終の意義ある地点でもあった。ここで満1年余も警備の任に就いた。・・・鉄道も今は何の役も果たさず、この駅より2,3粁南には長安ピンと云って、可成り大きい町があり、ここは他の師団が警備に就いている。・・・
又駅前には日本人の店が2軒出来た。その一つの朝日屋という食堂は姑娘を3,4人も使っており、他の1軒は日本人の中年夫婦があん巻屋を始めた。そうして今後は西と東に慰安所が出来た。1軒は日本娘と中国の姑娘の混合で、他の1軒は朝鮮娘を置いてここも大賑いとなった。
証言者榎本秋男
証言者属性日本軍兵士
部隊名第6師団(熊本)輜重第6連隊
資料タイトル私の中国戦記
著者、公文書発信者など榎本秋男
公文書宛先
発行日1972.11.1
発行所私家版(大阪市)
ページ182
出典備考
備考 臨湘県10万分の1の地図では臨湘県は揚子江岸にある。アジ歴の検索地図を見ても同様。臨湘(中心部)の位置は現地図の「陸城鎮」と思われる。現在の地図で臨湘は揚子江南岸ではなく、岳陽の北東にある。旧地図の長安駅付近である。さて、本証言についてであるが、「臨湘駅」が小見出しになっていて、そのため臨湘駅のことと推測したが、そうではないようだ。「この駅より2,3粁南には長安ピンと云って、可成り大きい町があり」とあり、この「長安ピン」とは長安駅であろうから、この駅とは臨湘駅ではなく、長安駅の近隣の駅であろう。どの辺にあったかは不明だが、2,3粁であるから現・臨湘市内にあったことになる。そもそも揚子江南岸に鉄道があったのだろうか。/テキサス大学図書館公開の中国地図・岳陽(シリーズL500、1954~)に「臨湘(長安駅)」がある。地図のほぼ中央「3-6」にある。この地図では臨湘が長安駅と同一に描かれている。現在の地図で同所は「岳陽市臨湘市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・岳陽は次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh49-12.jpg
テキストのコピーはできません。