出典種別 | 兵士の回想録等 |
---|---|
現在の地域情報 | 湖南省 岳陽市 臨湘市 桃林鎮 |
資料にある地域情報 | 桃林 |
慰安所があった時期 | 1942年 |
記載内容 | 桃林の家並は、油港河の右岸にあった。町の中心地に連隊本部があり、東端の、長安からの道路の北に、町からすこし離れて第11中隊と第12中隊、第3機関銃中隊の兵舎があった。・・・第11中隊の兵舎の東どなりに、慰安所があった。部隊が、2,3ヵ月も1ヵ所に駐屯すると、たとえ第一線であっても、そこに勇敢な慰安婦たちの店が、必ず開かれる。こうなると、慰安婦も、兵隊たちにとって精神科の看護婦か女医のようなもので、尊敬の対象以外のなにものでもなかった。休日の順番待ちは大変なようだったが、要領のいい同年兵の中には、初年兵教育の湖泗橋とは違って、そろそろこの恩恵にあずかる者もでていた。・・・「おい、幹候隊で、苦労してるんだろ。遊んでこいよ」同郷の中田義男伍長が、私に気を遣って慰安所行きをすすめてくれたりするのだが、私は、ただ、わが家に帰ったようなほっとした気持ちになって、ついつい班内で昼寝してしまうことがよくあった。 |
証言者 | 木下博民 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 第40師団(鯨部隊)歩兵第235聯隊第6中隊 |
資料タイトル | 戦場彷徨 |
著者、公文書発信者など | 木下博民 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1987.4.6 |
発行所 | ヒューマン・ドキュメント社 |
ページ | 112-113 |
出典備考 | 注:著者略歴に「昭和17年(1942)出征 中国揚子江沿いと東北部ハルビンなど大陸の戦場を彷徨」とあり、最初に揚子江沿いである桃林に配属されたものと思われる。 |
備考 | 著者略歴に「昭和17年(1942)出征 中国揚子江沿いと東北部ハルビンなど大陸の戦場を彷徨」とある。 |