証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報湖南省 岳陽市 汨羅市
資料にある地域情報汨羅南岸駅
慰安所があった時期1945年7月6日
記載内容7月6日、夜半に泪羅南岸駅着、又しばらく歩いて貧寒極まる家に設営した。何にもなくむしろの上に横になった。大隊位いの部隊が駐留しておるらしく慰安所もあると誰か言っていた。下士官がとうとう声をあげて将校をなじった。無理はない。駅へ出る途中下士官が配給になった砂糖だと言って紙に包んだのを少しくれた。
証言者出川武親
証言者属性日本軍兵士
部隊名
資料タイトル芷江作戦 出川武親遺文集2
著者、公文書発信者など出川武親
公文書宛先
発行日1973.8.17
発行所自費出版(東京都板橋区)
ページ193
出典備考
備考 岳州50万分の1の地図には王家橋と河夾塘の間に「汨羅」があるが、現在の地図を見ると同所には「汨羅」はなく、湘陰県の北東に「汨羅市」がある。旧地図の「帰義」の位置である。旧地図で、汨羅河(汨水)の流れに沿って大きな地名をたどると、帰義、新市、長楽街となるが、これを現在の地図に当てると、汨羅市、新市鎮、長楽鎮である。アジ歴のB13080897500の同所の地図には泪羅の東直ぐに「帰義」がある。1940年の『支那地名集成』にも「帰義」は「湖南省粤漢鉄路汨羅駅の東南、汨水流域」と解説されていて、帰義の近くに汨羅駅があったことがわかる。岳州の地図とアジ歴の地図では汨羅の位置が食い違うが、岳州の地図の泪羅の位置が誤っているのかもしれない。岳州の地図でも「帰義」西方に粤漢鉄道が通っていて、この粤漢鉄道には汨羅駅は未記載だがその東に帰義が存在するという位置関係になる。王家橋と河夾塘の間の汨羅には鉄道は通っていない。証言は遺稿であり現在の地名を記載したとは思われない。証言者は、王家橋と河夾塘の間の「汨羅」について記したのではなく、帰義の近くの粤漢鉄路汨羅駅について記したのかもしれない。不明な点はあるが、いずれにしろ、現・汨羅市に含まれることになる。ちなみに次のテキサス大学図書館公開の中国地図・長沙(シリーズL500、1954~)を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh49-16.jpg
テキストのコピーはできません。