出典種別 | 兵士の回想録等
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現在の地域情報 | 湖南省 長沙市 |
資料にある地域情報 | 新市 長沙を過ぎたあたりと思われるところ |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 11月中頃、長沙を過ぎたあたりと思われるところに新市という町がある。その町の小高い丘の上に天幕を張った。2週間ばかり大休止が与えられたのである。・・・慰問袋はおろか、慰問文さえ届かず、内地の家族に手紙を出すすべもない。けれどもこのような奥地に、不思議なことには特殊看護婦とも呼ばれた従軍慰安婦部隊がやって来ていた。そして4日間駐留予定の部落に、慰安所が開設された。ピー屋といった。将兵の性欲処理に奉仕する女たちは、朝鮮の農村で募集したり、強制的に連行してきた女たちだという。すべて未婚の処女を選んでいるそうだ。また、銃剣でおどして連れてきた中国娘もかなりいたという。彼女らはそれぞれ朝鮮ピー、中国ピーと呼ばれていた。・・・ピー屋は、むしろアンペラで囲った急造バラックで、間口は2.5メートル・奥行き3メートルぐらいの部屋にしきられた10数室のハーモニカ式長屋で、2棟建っていた。これは下士官以下の専用で、将校用は別に少し立派な棟があった。 |
証言者 | 梶川勝 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 第二国民兵役 陸軍二等兵の戦争体験-九死に一生を得た思い出とざんげの記録 |
著者、公文書発信者など | 梶川勝 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1991.4.1 |
発行所 | 私家版(和歌山市) |
ページ | 53-54 |
出典備考 | 注:証言の内容は、111pの「参戦経路」にあるとおり、北から南に行軍していると思われる。武昌から長沙、その後桂林である。55pに「衡陽を過ぎた頃」とあり、衡陽は長沙から桂林への途中にある。引用した証言に、長沙を過ぎた、新市という所の町に慰安所があったというように読むことができる。では、新市とはどこか、新市は長沙の北にも南にも各地に存在する。特定はできないので、「長沙を過ぎたあたり」との表現を重視し、特定できないものの、長沙市内にあったと推測した。 |
備考 |
p111に「参戦経路」あり
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