出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖南省 衡陽市 |
資料にある地域情報 | 衡陽 |
慰安所があった時期 | 1944年 |
記載内容 | そうこうする内、昭和19年の春、師団とわかれて旅団(武兵団)が戦車2個蓮隊を引きつれて、桂林作戦に赴くことになった。私も旅団の経理部付となり、トヨタ製のトラックで黄河のそばから、桂林に向かう作戦に参加させられる羽目となった。兵団は武漢、長沙を経て衡陽から桂林に向かうことになった。ちょうど、桂林の中間地点の村落で、作戦準備のため長期駐屯することが決まり、旅団は分散して宿営することになった。数日たつと、また作戦参謀が私を呼び出した。そしてまたまた、慰安所を作れ、衡陽で女を集めてこいという命令である。私もつくずくいやになったが、作命には背けない。慰安所は例によって、数軒の藁葺き民家を改造し、兵器部から兵員輸送用の装甲兵車(キャタピラ付)を2,3輌借り出して衡陽に向かった。勿論、塩は忘れない。衡陽の野戦倉庫で、必要な旅団用の補給品を受領したのであるが、その時担当の中尉に女性の事を相談すると、ちょうど日本人が親爺をしている大きなピーヤがある。そこに行けとのことであった。早速、塩持参で件のピー屋の親爺に会って相談すると、塩が効いたのか二つ返事で15人ほどの中国女性を用意してくれたのには、全く驚いた。翌朝、件の女を装甲兵車に乗せて駐屯地に戻ったのであるが、女性を初めて乗せた装甲兵車も、さぞや驚いたことであろう。作戦が急に変更になったので、実際はこの慰安所や女性は全く無用の長物となってしまって、また衡陽に連れ戻ったような始末であった。 |
証言者 | 宮谷重雄 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 追憶 上巻 |
著者、公文書発信者など | 新京陸軍経理学校第五期生記念文集編集委員会事務局 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1985.3.20 |
発行所 | 記念文集編集委員会事務局 |
ページ | 147 |
出典備考 | 宮谷重雄「わが戦記 恥さらし」 |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・HENG-YANG(シリーズL500、1954~)に「衝陽」がある。地図の左上「5-7」にある。現在の地図で同所は「衡陽市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・HENG-YANGは次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-ng49-8.jpg ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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