出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖南省 衡陽市 |
資料にある地域情報 | 衡陽 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 此の衡陽前線地区にも、此頃、始めて慰安所が出来て、女が来て居る。朝鮮人が半分、支那人が半分宛位である。親方も、何処から此んなに女を集めて来るのか知れないが、又、その女達の生活力の逞しさには全く男顔負けである。喰はんが為か、それ共何か目的が有るのか、噂では、日本の女も1人、来て居るーと云ふ。良く、此んな支那の奥深く迄、来たものではある。・・・ 此頃、慰安所の女が2名、3名と連れ立って、医務室へやって来る。何か病気でも有るのか知らんが、何で我が輸送隊へ来るのかも解らない。皆、半島人である。「良く此んな衡陽くんだりまでやって来たなァ」と感心していたが、時々将校室へやって来ては、肉饅頭や西瓜を置いて、馬鹿話をしていく。・・・ 半島から周旋人に騙されて、軍の慰安というので踊ったり歌ったりして慰めたら良いーと思って又、周旋人もそう云った。それで、支那へ渡って来たら、「客を取れ」と云う。「客を取れ」とは何の事やら解らずに、客の所へ行ったら、一辺でヤラれてしまった。それからは自棄糞である。次々に数をこなす。又、次々に兵隊が来るのだから、こなさなければならない。・・・兎に角、女の数は少いし(衡陽で慰安婦は30人もいないだろう。支那人は多いが)兵隊は何万といる。 |
証言者 | 川崎正美 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 患者輸送第89小隊(9774部隊) |
資料タイトル | 患者輸送第八十九小隊(第九七七四部隊) |
著者、公文書発信者など | 川崎正美 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1988.12.10 |
発行所 | 私家版(山口市) |
ページ | 223, 296-297 |
出典備考 | 注:405pに「衡陽館のチーサン」「衡東楼のサーチャン」とある。 |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・HENG-YANG(シリーズL500、1954~)に「衝陽」がある。地図の左上「5-7」にある。現在の地図で同所は「衡陽市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・HENG-YANGは次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-ng49-8.jpg |