出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖南省 衡陽市 |
資料にある地域情報 | 衡陽 |
慰安所があった時期 | 1939年2月 |
記載内容 | 南寧を出発に際して、はっきりと海南島作戦に参加することが命令された。2月も8日頃だったと思う。2月×日とだけで、その日は明記されていないが、急がねばならぬ。如何に女神のいる南寧でも、止るわけには行かない。その日は、市外を過ぎた部落に宿営。9日は、衡陽市の北方2キロ位の部落だった。隊長や中隊長が話し合って、衡陽の市には慰安所も開設してある。海南島作戦ともなれば、再び女神にまみえる折りもなかろう。希望者を出そうではないかとなった。各人金を持っていないので、経理部で伝票を渡し、それによって女神を利用することにした。そこで軍医、主計副官、及び各中隊から将校1名宛が交渉委員となり町に急行、交渉し決諾を得たので、引率者を定めて行かせた。日系、朝鮮系、台湾系、支那系とあった。中にはお腹に子供を既に持っている支那系、台湾系で2人位づつあったが、日本の兵隊さんの子供だから是非生むんだと、お腹を大きくしながらも商売している女もいた。 |
証言者 | 山田長之助 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 我が従軍記 |
著者、公文書発信者など | 山田長之助 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2006.12.15 |
発行所 | Oc&Sパブリッシング |
ページ | 121 |
出典備考 | 注:アジ歴グロッサリーに「海南海軍特務部は、日本占領下の海南島で軍政を担当した組織である。1939年2月、陸海軍共同の海南島占領作戦が開始される」とある。 |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・HENG-YANG(シリーズL500、1954~)に「衝陽」がある。地図の左上「5-7」にある。現在の地図で同所は「衡陽市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・HENG-YANGは次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-ng49-8.jpg |