出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖南省 邵陽市 北塔区 楓林村 |
資料にある地域情報 | 楓樹坪 |
慰安所があった時期 | 1945年7月 |
記載内容 | 大隊本部は楓樹坪北側に、聯隊本部は柘木田のミカン畑の中に位置した。7月の上旬である。楓樹坪の部落には住民も帰り、商売を始めるようになった。師団から軍の慰安所を設置せよという要請が来た。早速、慰安婦を集めなければならないのだが、その方面のことはさっぱりわからない。そこで副官土家中尉、藤本軍医、それに特別情報班の松井少尉をその担当として処置させることにした。その間にも、第一線中隊陣地、特に第6中隊の大山嶺は、毎日敵機の銃爆撃に膚接して、突撃して来る優勢なる敵と死闘を繰り返していた。湖南の7月は実に暑い。毎日激戦しているその2粁余り後方では、急造のアンぺラ張りの慰安所が大繁盛しているという。いつ命を捨てなければならないかも知れないという、追いつめられたぎりぎりの心境の中に、一瞬の快楽を求める人間の赤裸々な姿であった。 |
証言者 | 和田健男 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 嵐兵団歩兵第120連隊 第2大隊本部 |
資料タイトル | 嵐兵団歩兵第百二十聯隊史 血涙の記録(下巻) |
著者、公文書発信者など | 嵐兵団歩兵第120聯隊史編纂委員会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1977.12.1 |
発行所 | 一二〇友の会 |
ページ | 907 |
出典備考 | 第2大隊本部 和田建男「第2大隊宝慶付近の警備」 |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・SHAO-YANG(シリーズL500、1954~)に「邵陽」がある。地図の左下付近「4-1」にある。楓樹坪見えず。より古い地図、宝慶10万分の1の地図に宝慶中心部から西方、資水(資江)を神灘渡で渡河すると、更にその先に「楓樹坪」がある。現在の地図と比較すると「楓樹坪」は「楓林村」と推測される。テキサス大学図書館公開の中国地図・SHAO-YANGは次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-ng49-3.jpg |