出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 湖南省 永州市 |
資料にある地域情報 | 桂林への中間地点の村落 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | そうこうする内、昭和19年の春、師団とわかれて旅団(武兵団)が戦車2個蓮隊を引きつれて、桂林作戦に赴くことになった。私も旅団の経理部付となり、トヨタ製のトラックで黄河のそばから、桂林に向かう作戦に参加させられる羽目となった。兵団は武漢、長沙を経て衡陽から桂林に向かうことになった。ちょうど、桂林の中間地点の村落で、作戦準備のため長期駐屯することが決まり、旅団は分散して宿営することになった。数日たつと、また作戦参謀が私を呼び出した。そしてまたまた、慰安所を作れ、衡陽で女を集めてこいという命令である。私もつくずくいやになったが、作命には背けない。慰安所は例によって、数軒の藁葺き民家を改造し、兵器部から兵員輸送用の装甲兵車(キャタピラ付)を2,3輌借り出して衡陽に向かった。 |
証言者 | 宮谷重雄 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 追憶 上巻 |
著者、公文書発信者など | 新京陸軍経理学校第五期生記念文集編集委員会事務局 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1985.3.20 |
発行所 | 私家版(千代田区) |
ページ | 147 |
出典備考 | 宮谷重雄「わが戦記 恥さらし」 |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・LING-LING(シリーズL500、1954~)に「高渓市」がある。地図の「6-3」である。この高渓市の南、湘江が西に丸く蛇行する内側が現・永州市であるが、この地図には永州は見えず。現在の地図で「永州市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・LING-LINGは次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-ng49-7.jpg ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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