出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 江西省 九江市 盧山市 |
資料にある地域情報 | 九江の星子(せいし) |
慰安所があった時期 | 1938年10月 |
記載内容 | 九江に着いてみると、丘の上のガランとしたホテルに、いわゆる文士部隊が来ていた。隊長格の久米正雄をはじめに、岸田國士、富沢有為男、深田久弥などという連中。みんなはここを足場に武漢入城を待機しているらしかった。ぼくはここでしばらく音楽部隊を離れ、文士部隊と起居を共にした。・・・もう10数年も前のことなので記憶がおぼろだが、どうも星子でぼくらが滞在していたのはホテルではなく兵舎の一部で、その山梨県出身の将兵たちがぼくを招じた宴会は、どこかの小さな民家で行なわれたような気がする。・・・つまり、この駐とん地にはいま数人の慰安婦が来ている。その中の太った1人を選んで夜ぼくの足を暖める湯たんぽ代わりによこそうかと言うのだった。「女とお思いにならなければいいのであります。足もとに横にお置きになればよろしいのであります」と、その将校はまじめ顔で言うのだった。ぼくは笑いをかみころし、ていねいに断って、その将校を帰した。・・・ぼくはこの町の慰安所がどこにあるかも知らなかった。また、ここにはどのくらい将兵が駐とんしているかも知らなかった。九江では慰安所の話を一度久米正雄から聞いたことがあった。なんでも、町はずれにそれがあって、見物に行ったら慰安婦の中で一番美人のお豊というのが病気で寝ていた。ところが、それにほれているおおぜいの兵士たちが、みんなでそのベッドをとりかこみ、中には親切に講談倶楽部を読んで聞かせてやるもの、うちわであおいでやるものなど、和気あいあいたる光景だったという。 |
証言者 | 西條八十 |
証言者属性 | |
部隊名 | 音楽部隊 |
資料タイトル | 西條八十全集 第17巻(随想・雑纂) |
著者、公文書発信者など | 西條八十 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2007.3.20 |
発行所 | 国書刊行会 |
ページ | 229-230 |
出典備考 | 西條八十「我愛の記」 |
備考 |
星子県5万分の1の地図に「星子県」がある。鄱陽湖の西岸である。この県城を西方に進むと徳安県に至る。同所を現在の地図で見ると、「城区村」「城区社区」など県城を思わせる地名がある。同所の南方に星子鎮があるが、旧地図を尊重し、この星子鎮はとらず、証言の星子は「城区村」付近と推定したが断定はできず、行政区画上、上位の「盧山市」でとった。/テキサス大学図書館公開の中国地図・九江(シリーズL500、1954~)に「星子」がある。鄱陽湖西岸沿い、地図の上端中央左寄り「0-5」にある。現在の地図には星子は見えず。行政区画の上位地名である「盧山市」でとった。テキサス大学図書館公開の中国地図・九江は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh50-10.jpg |