出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 江西省 九江市 盧山市 |
資料にある地域情報 | 星子 |
慰安所があった時期 | 1938年10月 |
記載内容 | 臆病なぼくはひと晩の夜襲ですっかり考えこんでしまった。ぼくは絶えず心の中で「さしあたりいまなにが大切か」と眼前のものを選択する癖がある。そして一瞬ごとに比較して大切な道をとることを処世法としている。で、この場合、ぼくは従軍よりも生きることが大切だと結論した。・・・夜が明けて洗面に行くと、作曲家の古関裕而君といっしょになった。「ぼくはもう従軍をうち切って帰る。ゆうべのような目に会うのはもういやだから」と言うと、おとなしい古関君は、「じゃあ、ぼくもいっしょに帰りましょう」と賛成した。聞きあわせてみると、けさちょうど九江行きの便船が出るという。2人はさっそく身支度をして、なおも戦線へ進むという若い部隊の友人連に別れを告げ、兵舎を出た。鄱陽湖の埠頭近く来ると、2人の兵士が、疲れた顔つきでむこうから歩いてきた。きいてみると、ゆうべ盧山から下りて来た敵兵は、橋梁を爆破してから、街はずれにあった慰安所の若い女を2人さらって帰っていった。そのあとを追跡してゆくと、山道に彼女たちの衣類のこまかいちぎれたのが黒々と落ちていた。かわいそうな慰安婦たちは万一の救助を頼みに、自分たちの着衣を裂いて、目じるしを残して行ったらしい。だが、相当登った地点で、もうその目じるしは絶えていた。・・・ぼくはそれを聞いて、昨夜ぼくのところによこされるはずだった婦人も、その中にいたのじゃないかと、ふと考え感概無量だった。 |
証言者 | 西條八十 |
証言者属性 | |
部隊名 | 音楽部隊 |
資料タイトル | 西條八十全集 第17巻(随想・雑纂) |
著者、公文書発信者など | 西條八十 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2007.3.20 |
発行所 | 国書刊行会 |
ページ | 233-234 |
出典備考 | 西條八十「我愛の記」 |
備考 |
星子県5万分の1の地図に「星子県」がある。鄱陽湖の西岸である。この県城を西方に進むと徳安県に至る。同所を現在の地図で見ると、「城区村」「城区社区」など県城を思わせる地名がある。同所の南方に星子鎮があるが、旧地図を尊重し、この星子鎮はとらず、証言の星子は「城区村」付近と推定したが断定はできず、行政区画上、上位の「盧山市」でとった。/テキサス大学図書館公開の中国地図・九江(シリーズL500、1954~)に「星子」がある。鄱陽湖西岸沿い、地図の上端中央左寄り「0-5」にある。現在の地図には星子は見えず。行政区画の上位地名である「盧山市」でとった。テキサス大学図書館公開の中国地図・九江は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh50-10.jpg |