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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報江西省 九江市  永修県 呉城鎮
資料にある地域情報九江 呉港
慰安所があった時期1939年4月
記載内容4月29日 雨 天長節
6時出発兵站本部にて朝食、雨降りはじめる。8時乗船開始、徴用漁船なり、10時出発、永島軍医と眠る。15時、呉城前方2粁で牽引中の舟艇波をかぶって沈没す、乗用車3台、工兵、慰安婦等数名、水中に投げ出され大騒ぎとなる、ドラム缶につかまる兵、いかだにつかまる女等、目前にその姿を見て如何ともすることが出来ない、車中で眠っていた1名の女性は行衛不明、工兵の1名裸体となり自動車積載のいかだを水中にさぐるも、自動車と共に湖底に沈む惨状なり、呉港に到着したのは17時30分。その夜は船中に泊る、天長節の酒下給され助けられた女性達も加わり、賑やかに酒宴、船中はさながら慰安所の如し。昨夕の惨状と今日の賑やかなる酒宴に対して普通人では到底考えられない兵隊達や女達の無神経さと云うか異常さに気がつくと思うが、そんな事は平和な生活の上にあってのみ考えることであって戦場に於いてはまったく異常な神経になっている。・・・この宴会でも一番賑やかにしかも陽気に騒いでいるのは昨日投げ出され九死に一生を得た女性たちであり、工兵の連中だ、それでいゝのである。・・・そこには批判もなければ面倒な理屈もない、人間の裸の感情、欲望をむき出しにした兵隊であり、ただ上官の命令だけを至上命令と考える人間であればいゝのだ、運転室で堂々と性交を行っている兵もある、女が嬌声をあげている、まことに目出度い。
証言者岡村俊彦
証言者属性日本軍兵士
部隊名第101師団
資料タイトル榾火(ほだび)
著者、公文書発信者など岡村俊彦
公文書宛先
発行日1961.5.30
発行所文献社
ページ223-234
出典備考注:4月28日の記事に盧山攻撃参加部隊を原隊復帰させるとの記述がある。1939年4月のことであろう。4月29日の本記述では「昨夕の惨状と今日の酒宴」とか「昨日投げ出され九死に一生を得た女性達」など時制が混乱している。30日にこの事故のことなどを記述したためであろう。事故は、証言者が徴用漁船に乗船の後に目の前で別の舟艇が沈没し慰安婦等が湖に投げ出されたというもの。そしてその夕方、呉港に到着しその船中で酒宴が始まる。救助された慰安婦らと共に、慰安所のようだったと回想している。27日に「九江宿舎に入る」と記されているから、九江で乗船し、呉港到着した。この後南昌に向かうのである。事故のあった湖は鄱陽湖である。このルート上にある呉港とは「呉城港」と思われる。呉城港は「呉城鎮」にある。
備考 テキサス大学図書館公開の中国地図・九江(シリーズL500、1954~)に「呉城」がある。徳安の南東、鄱陽湖西岸沿い、地図の「0-2」にある。現在の地図で同所は「永修県呉城鎮」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・九江は次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh50-10.jpg
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