出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 江西省 南昌市 青山湖区 羅家鎮 |
資料にある地域情報 | 南昌東地区 羅家墟 |
慰安所があった時期 | 1940年12月 |
記載内容 | 昭和15年12月20日付で、私は木佐木部隊へ無線分隊長として配属されることになった。木佐木部隊は、先の6月攻勢の折、第一線部隊の指揮をとった木佐木中佐が、斎藤第3大隊を基幹とし、配属の砲兵、工兵の一部を指揮下に入れて、南昌東地区の警備に当たることとなり、その本部を羅家墟に置いた。・・・ 部隊本部(大隊以上を部隊という)の所在地には、必ず食堂と慰安所があった。・・・慰安所とは、遊廓のことで、別名ピー屋と言った。日本人、朝鮮人、現地人の遊女が居て、軍人の性的欲求を充してくれる場所である。食堂や慰安所は、休日(日曜日)は満員になる。時には第一線陣地から下士官引率の団体客? がお見えになることもある。電信所勤務の我々は時間的には融通がきくので、暇な時間帯を見つけては、せっせと通ったが資金の続かないのが玉に疵であった。 |
証言者 | 木下司 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 木佐木部隊歩兵第218連隊通信中隊 |
資料タイトル | 日中戦争二五一四日-歩兵第二百十八連隊通信中隊の誕生から終焉まで- |
著者、公文書発信者など | 木下司 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1987.4.5 |
発行所 | 私家版(西宮市) |
ページ | 78、81 |
出典備考 | 53pの地図の南昌東地区の「羅家墟」を、現在の地図で探すと、「羅家鎮」又は「羅家村」がヒットする。ここでは「羅家鎮」でとった。 |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・南昌(シリーズL500、1954~)に「謝埠市」がある。南昌の南東、地図の「0-6」付近である。現在の地図では、この謝埠市(謝埠街)の北に羅家鎮がある。この地図には羅家鎮見えず。現在の地図の「南昌市青山湖区羅家鎮」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・南昌は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh50-14.jpg |