出典種別 | 兵士の回想録等 |
---|---|
現在の地域情報 | 江西省 南昌市 新建区 楓林 |
資料にある地域情報 | 楓林李 |
慰安所があった時期 | 1943年 |
記載内容 | 昭和18年の春から1年間は江西省の僻地で歩兵大隊付主計。・・・南昌から8里輜重隊のトラックに行李と共に揺られて南西に走ること1時間半、連隊本部のある八房に到着。更に2里半大隊本部のある楓林李までは馬か徒歩で行くより外ない。道は樹木一つない赤茶けた丘陵。すすきが波を打つ。南昌で遠く霞んで見えた西山嶺が近く尾を引き夕陽に映えている。都落ちの感が切実に胸を突く。楓林李はこの丘陵がつきる処、直径250メートルに円を描いて鉄条網を巡らし、壕を掘って抵抗線となす。・・・敵に近いので朝鮮娘、姑娘3人ずつの慰安所から姑娘2人の酒保まで全部吾吾と同じ鉄条網の中、夜は土器に燈芯と油が唯一の燈火、鉄条網の外側には敵の工作員の死体(刑死)2,3体埋めてあり、雨の夜などよく人魂が流れる。聞きしにまさる前線生活の惨めさだが、慰安所と酒保があるだけが中隊や陣地の兵達に羨ましがれ、時々慰安所の姑娘3,4名での中隊巡回、ご機嫌を結ぶ。 |
証言者 | 水谷純三 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | あの頃の思い出 |
著者、公文書発信者など | 日本郵船編 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1965.4.1 |
発行所 | 私家版(東京都千代田区) |
ページ | 550, 551 |
出典備考 | 水谷純三「野戦千里」 |
備考 |
南昌市に複数の楓林がある。証言で南西方向とあるから、現在の地図の南昌市中心部の南西方向にある「楓林」であろう。南昌市中心部の北を南西方向に走る道路の途中に「繆家八房」があるが、その南方に「楓林」がある。a-2719資料の66pの地図「西地区警備要図」に「八房」(現在の地図では繆家八房)の南方に「楓林李」が記されているが、この位置を現在の地図で探すと周囲の地名や川の位置から「楓林」が「楓林李」であることがわかる。/ちなみに「楓林李」は記されていないがテキサス大学の地図を紹介しておく。西山万寿宮の東であるから、この地図の「7-5」付近と思われる。テキサス大学図書館公開の中国地図・南昌は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh50-14.jpg |