出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 広東省 広州市 |
資料にある地域情報 | 広東 広州 |
慰安所があった時期 | 1939年 |
記載内容 | 広東の慰安所にいたのは、中国人が7割、日本人は3割。一つの慰安所に5,6人から10人いた。・・・慰安所に名前はついていない。私は、初年兵の時だけ利用した(その後は、支那語ができたし、物をやればいくらでもできたので不必要だった)。慰安所の利用人数は、1日に、1人が40人ぐらいだった。経営主体は民間の内地の女郎屋の関係者だが、日本人の女郎が借金を返して部隊長の2号になって、自分が親方になって女性を連れてくるケースもある。 |
証言者 | 74歳 男 京都府 |
証言者属性 | 日本軍兵士・歩兵・情報係・下士官 |
部隊名 | 東京第1師団水戸連隊 |
資料タイトル | 性と侵略――「軍隊慰安所」84ヶ所 元日本兵らの証言 |
著者、公文書発信者など | 1992・京都「おしえてください!『慰安婦』情報電話」報告集編集委員会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1993.7.31 |
発行所 | 社会評論社 |
ページ | 173-174 |
出典備考 | |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・KUANG-CHOU(シリーズL500、1954~)に「広州」がある。地図の下中央「3-5」にある。現在の地図で同所は「広州市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・KUANG-CHOUは次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nf49-4.jpg |