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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報広東省 広州市 従化区 太平鎮
資料にある地域情報広州の太平場近くの西村集落
慰安所があった時期1944年夏
記載内容中国南部の広東省広州・太平場近くにある西村集落の慰安所には11人の従業婦がいたのを覚えている。人柄がよいことから人気があって稼ぎ頭だった中国人慰安婦がいたのだが、あるとき「マスター」と呼ばれていた親方(中国人だったか)が「相談がある」とやって来た。この慰安婦の14歳になる妹が「家出してきた」というのである。・・・うーむ、と、次広はウナっている。14歳である。それにしても村の困窮ぶりは相当なものらしい。よそへ行って乱暴な扱いをされても気の毒ー。なんどかウナったあと、こんな話はなんだが、マスターの了解を得て経理課の兵隊に試させることにしている。次の日曜日、選抜された兵隊が出て行く。「大丈夫か」と聞くと、「潤滑油にメンソレータム」を持っていく。任せておいてくんなはれ、と、こうだった。
証言者次広勝
証言者属性日本軍兵士・主計伍長
部隊名第104師団(通称号・鳳)
資料タイトル生き残った兵士の証言 極限の戦場に生きた人間の真実
著者、公文書発信者など土井全二郎
公文書宛先
発行日2004.9
発行所光人社
ページ182-183
出典備考
備考 西村集落は不明。アジア歴史資料センター:C13031859500の陣中日誌では、桜田部隊本部が「西村軍医院」(地名のようだ)に駐屯し、太平場で久納兵団の一部と交替した旨を記している。この西村軍医院のことであろうか。アジア歴史資料センター:C13031758200の地図に広東市の北東に「太平場」がある。現在の地図で同所は「太平鎮」である。太平鎮でとった。/テキサス大学図書館公開の中国地図・KUANG-CHOU(シリーズL500、1954~)の広州北東に「Tai-p'ing-ch'ang」がある。従化の広州寄り、地図の「5-9」にある。ここが太平場であろう。なお、広州中心部に「西村」とある。この付近に太平場があったのかも知れないが、現状では不明である。現在の地図で太平場は「広州市従化区太平鎮」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・KUANG-CHOUは次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nf49-4.jpg
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