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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報広東省 広州市 従化区 太平場
資料にある地域情報太平場
慰安所があった時期1939年12月
記載内容12月16日
・・・思うように荷物を載せられない馬が数頭もいて、てこずったものの、予定の21時には、南村を出発、太平場に向かって行軍がはじまった。・・・17日早暁この太平場に着いて、馬の世話やら自分たちの食事や雑用に追われていた。ここの部落の中心地の道路が十字に交わっているところに、3階建ての大きな建物が3棟あった。・・・3階建ての家に宿営してここを警備していたのは、久納兵団の兵隊で、私たちの部隊と交替して出て行ったばかりである。商人たちもすぐ引き揚げるらしい。中央の広場に、軍の公用バスが止まっていた。和服の女が満席している。慰安婦たちで、聞くところによれば、日本人、台湾人、朝鮮人の混成であるという。今までここにいた部隊が引き揚げたので、彼女たちも後を追って、どこかに移動するのであろう。
証言者榎本留蔵
証言者属性日本軍兵士
部隊名南支那派遣桜田部隊(旅団)牛島部隊(連隊)
資料タイトル三冊の手帖-一兵士の日中戦争従軍日誌
著者、公文書発信者など榎本留蔵
公文書宛先
発行日1998.1.30
発行所朝日新聞出版サービス
ページ55
出典備考
備考 a-2821の資料では、「太平場近くにある西村集落」と記している。本資料では、久納兵団と交替したことが記されている。アジア歴史資料センター:C13031859500の陣中日誌では、桜田部隊本部が「西村軍医院」(地名のようだ)に駐屯し、太平場で久納兵団の一部と交替した旨を記している。a-2821と本資料と符合する記載である。なお、この公文書の時期は1939年12月。/テキサス大学図書館公開の中国地図・KUANG-CHOU(シリーズL500、1954~)の広州北東に「Tai-p'ing-ch'ang」がある。従化の広州寄り、地図の「5-9」にある。ここが太平場であろう。現在の地図で同所は「広州市従化区太平鎮」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・KUANG-CHOUは次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nf49-4.jpg
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