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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報広東省 広州市 増城区 甘新村
資料にある地域情報広東省 甘新村
慰安所があった時期1942年1月頃
記載内容私達はその年の12月27日に岐阜の屯営を後にして軍用列車に乗り、広島に着き、市内の鳥屋町の旅館で3泊し12月31日宇品港より輸送船能登丸に乗組一路、南支那広東の外港、黄埔より汽車にて最前線甘新村という所の基第2804部隊第1中隊で教育を受けることに成った。到着その夜、支那軍の夜襲で、迫撃砲の洗礼を受けたが大した事も無かったが、到着の遅れたこともあり、その上の混乱で、中隊長への申告、訓辞等は翌日に行われた。翌日から初年兵教育であるが、最前線であるので、何時も訓練、演習は実践的で然も促成的にビシビシと教育された。甘新村は前線であって、外出したことがないので、分らないが慰安所も酒保もあったようである。
証言者広瀬豊松
証言者属性日本軍兵士
部隊名歩兵砲中隊、基第2804部隊第1中隊
資料タイトル茘枝の実
著者、公文書発信者など増城戦友会
公文書宛先
発行日1987.5.24
発行所増城戦友会
ページ30
出典備考広瀬豊松「目下の細かな想い出」
備考 アジア歴史資料センター:C13032650900「広東省通信網図」に増城の東に甘新村が記されている。この図には官塘もあり、甘新村は官塘と増城のほぼ中間の位置にある。この図は模式的に描かれているので、そのことを考慮し、現在の地図で探すと、現地図の増城の北西、朱村の北に「甘新村」がある。/ テキサス大学図書館公開の中国地図・KUANG-CHOU(シリーズL500、1954~)の広州北東に「Kan-hsin-ts'un」がある。朱村の北で、ここが甘新村と思われる。地図の「7-7」にある。現在の地図で同所は「広州市増城区甘新村 」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・KUANG-CHOUは次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nf49-4.jpg
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