出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 広東省 東莞市 |
資料にある地域情報 | 東莞 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | それはともかく、こうした敵の密偵の諜報によって、わが方の警備交代もいち早く敵に知れてしまう。その証拠には、われわれが朱村に来るまでは、大阪の菰田兵団(第104師団)が警備していて、毎晩のように敵襲を受けていたそうだが、われわれが警備交代をしたその日から、敵襲はパッタリとなくなってしまった。ところで、長い間作戦が続いていたので、兵隊も不自由しているだろうという配慮から、われわれが朱村に来て、間もなく、慰安婦たちが自動車隊に送られてやってきた。兵隊たちは歓声をあげてこれを迎えた。東莞にも慰安所があったが、初年兵としての苦しい訓練の連続と、ここは戦地だという緊張感から、そんなものには全く関心がなかった。広東の市内警備の時慰安所のそばを通ったが、ほとんどが朝鮮の女性で、無理もないことだが荒み切った感じであった。またそのあたりの雰囲気は索漠たるもので、何ともやり切れない空気が漂っていた。この朱村の慰安所は果たしてどんな風であったろうかと、私は戦友に誘われるまま、大工たちの兵によって急造された仮慰安所を見学に行った。すると、そこには番号札を持った兵隊がたむろしていて「おーいまだか、長いぞ、早くせい」などと室内に向って怒鳴ったり、甚だしいのは扉をどんどんたたき、はては扉の上によじのぼって中をのぞき込んでいる。だが、その兵たちの顔は何のてらいも屈託もなく、きわめて朗らかにふざけ合いながら待っているのであった。 |
証言者 | 榎本弘 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | ある兵隊の回顧 大陸転戦とソ連抑留の記 |
著者、公文書発信者など | 榎本弘 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1970.9.15 |
発行所 | 私家版(浦和市) |
ページ | 127 |
出典備考 | |
備考 |
東莞県東莞は、香港50万分の1の地図にある。広東の東方である。現在の東莞市である。テキサス大学図書館公開の中国地図・KUANG-CHOU(シリーズL500、1954~)の広州の東方に「東莞」がある。地図の右下「8-5」にある。現在の地図で同所は「東莞市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・KUANG-CHOUは次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nf49-4.jpg |