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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報広東省 中山市 洋沙
資料にある地域情報洋沙
慰安所があった時期1940年11月30日
記載内容中山県は、南寧を引揚げて昭和15年11月9日に唐家に上陸し、16年7月22日サイゴンに向け出発するまで、9か月間駐屯した所で、聯隊本部は翠亨の孫文記念中学校に、第1大隊は南蓢に、第2大隊は崖口に、第3大隊は翠亨に駐屯した。・・・30日 変な命令を受けた。慰安所の女子受領のため唐家まで行き、7名受領すべし、と変な役目、慰安所を南蓢と崖口との間にある洋沙に設けた。この部落には部隊が駐屯していないが、適当な所がないのでここにした。・・・
また、たまの休日には、交替でようやく外出が許され、釣竿を担いで出掛ける大公望、指定の慰安所へ呑みにでかける呑兵衛、ブラブラと市場を見物に出掛けるもんきな者たち、みんなが、それぞれ大切な1日を精一杯楽しんだ。・・・
証言者宇津木傳吾、筧正
証言者属性日本軍兵士
部隊名近衛野砲兵連隊・本部、第6中隊
資料タイトル近衛野砲兵連隊史
著者、公文書発信者など近衛野砲兵連隊史連隊史編纂委員会
公文書宛先
発行日1986.6.16
発行所近衛野砲兵連隊史連隊史編纂委員会
ページ206,501-502、520
出典備考宇津木傳吾「中山県日誌」、筧正「崖口の思い出」
備考 現在の地図に「南蓢村」と「崖口村」があり、両村の間に「洋沙」がある。テキサス大学図書館公開の中国地図・CHUNG-SHAN(シリーズL500、1954~)の中山(石岐)の東方に「P'an-sha」がある。地図の海岸寄り「6-8」にある。このP'an-shaが洋沙と思われる。現在の地図で同所は「中山市洋沙」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・CHUNG-SHANは次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nf49-8.jpg
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