出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 広西チワン族自治区 南寧市 |
資料にある地域情報 | 南寧 |
慰安所があった時期 | 1940年 |
記載内容 | 南寧方面に新設された、第22軍司令官に補職された久納中将は、2月中旬、その官舎としている家に、私と桜田近衛旅団長を主賓とし、軍の幕僚各部長ら総数20名ぐらいを招き、夕食会をやった。軍司令官の就任の披露を兼ねたものである。話は大部分、安藤軍のやった大攻勢に関するものであり、その後は雑談に移った。□□していた軍の管理部長が次のようなことを云いだした。「話は下がりますが、きょう自動車で15名ほどの抱え主につれられ、150名程の慰安婦が到着し、軍管理部で、家屋の都合はつけました。全部を南寧に留めてよいか、近衛部隊は南寧から8粁も離れた部落におりますので、そちらに何名程移らせたらよいか、ご決定を願い、その方の設備は、桜田旅団でやっていただきたいと存じております」すると誰かが、「双方の兵員数に応じ、按分できめたらいいでしょう」そういうや否や桜田少将が、「ご心配は有難いですが、近衛の兵は、いくらかほかとは違っており、そのほうのご心配は無用にしていただきます」と、云う。・・・ 右の日から10日程たち、憲兵隊が、各部隊の南寧慰安所利用状況を一表にして、参考のためといい、各部隊に配布してきた。それによると、予想に反し、之を利用する人は、近衛部隊の者が一番多く、しかも往復15粁以上の道を歩んでのことである。 |
証言者 | 今村均 |
証言者属性 | 日本軍兵士・大将 |
部隊名 | 第22軍 |
資料タイトル | 今村均大将回想録 第五部(その十七、十八、十九、二十、二十一)巻九 |
著者、公文書発信者など | 今村均 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1958.11.20 |
発行所 | |
ページ | 341-343 |
出典備考 | wam公文書サイト:K_D_110 |
備考 | 今村均『戦い終る』1960.2.10、自由アジア社にも所収 |