出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 広西チワン族自治区 南寧市 |
資料にある地域情報 | 南寧 |
慰安所があった時期 | 1940年7月 |
記載内容 | 昭和15年7月15日、広西省主都南寧に移った。・・・当時、日本軍の占領中は、部隊の使用人以外の支那人は、一人も南寧の市街には入れなかったのだ。沿道の水田には数百頭の水牛が遊んでいた。市内の商人は殆んど、内地から金儲けに来た人達で店舗は約30軒、主に飲食店であった。その他、3ヶ師団の兵に慰安所が20軒位。慰安婦は朝鮮婦人、支那婦人が多く、日本婦人は僅かであった。 |
証言者 | 安藤政吉 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 近衛第2師団第1野戦病院 |
資料タイトル | 近衛第二師団第一野戦病院 出征記 |
著者、公文書発信者など | ルマサキ会幹事 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1980.01.13 |
発行所 | ルマサキ会幹事 |
ページ | 48 |
出典備考 | |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・NAN-NING(シリーズL500、1954~)に「南寧」がある。地図の左上「2-2」にある。現在の地図で同所は「広西チワン族自治区南寧市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・NAN-NINGは次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nf49-5.jpg |